どこに行っても老人が多い

何かどこに行ってもただで座れる場所には大概爺が寝てんなと思う次第です。

僕の最寄り駅の駅ビルには無料で座れる椅子とソファーみたいなのがあるわけですが、爺がグースカ寝ております。

まあ冷暖房完備してるので快適な気温ではあるのかも知れませんが、わざわざ外に出て来て寝てる意味は分かりません。

そして軽く座って休憩しようとしても小汚い爺が口開けて寝てては隣が空いていても座りたくないでしょう。だから空いてる席には同じような爺が座るという具合になります。

 

最近は図書館に行く機会はずいぶん減りましたが、愛知に居た時によく行ってた図書館は爺で一杯でした。

新聞読んでる人もいましたが、大抵の爺は椅子で寝てました。

いびきを掻いてる爺や携帯をマナーモードにしてない爺も増えて結構ウザかった記憶があります。

 

銭湯に行ってもカフェに行ってもマナーが悪いのは大概爺です。

水を飲む給水機(コップで水を注ぐやつの下の水が流れる部分)にうがいした水を飛沫を上げながら吐き出すというまじで汚なくて後に使う人の事何も考えてない蛮行をやったりしてきます。

 

そして電車では彼等に席を譲らなければならない。

世の中には相当な数の老人に溢れているので、結構な確率で譲ることになってしまいます。こっちが仕事終わりでもです。

まあ休日に余裕がある日なら譲ってもいいわけですが、ぶっちゃけ疲れてる日には譲る気が起きません。

 

妊婦には譲ってもいいと思えるわけですが、電車であんまり妊婦の人に出くわす事はありません。

 

心が狭いと思われても仕方ないのですが、最近の爺多すぎ問題はどうにかしないといけいと思います。爺にこれ以上の社会保障は不要です。

別に長生きしても大して役に立たないばかりか普通に迷惑な存在になりつつあります。

 

ただ難しい所で自分の身内も確実に老いていきます彼等に辛い思いはして欲しくないという思いはまああります。

 

解決策としては金を出して、金が無く迷惑な民度の低い爺が入り込めない場所で過ごすというのが一番現実的なのかもしれません。

ただで使える場所にはやはり民度の低い連中が紛れ込むのは無理からぬ話です。

また老人を優遇するのは人口の割合的にどうすることも出来ないので政治に期待することも望み薄です。日本は民主主義の国、選挙にちゃんと来る上数が多い老人を優遇することは政治家にとってメリットのあることです。

 

快適な時間を過ごすためには自分自身の力を蓄えていかなければなりません。