古代オリエント 2

前回ではヒッタイトが鉄を使いこなしてたってとこまでやった。

ヒッタイトは超強かったとされている。

だが、その圧倒的な力を持っていたヒッタイトはどっかからフラフラとやって来た海の民に滅ぼされる。

これにより、ヒッタイトの製鉄技術がオリエントに広まる。

そんでアケメネス朝が台頭する。となる。

でもこんな説明聞いただけでは、「お、おう・・・」となる。

ヒッタイトが超強かったのならそれを滅ぼした海の民は更に強かったってことになる。

でも何も分かっていない。

武器では鉄を使っていたヒッタイトが勝っている(と思われる)。

であれば指導者の力なのか?でも指導者の名前も分からないよ?

戦術の違いなのか?戦術もイマイチ分からないよ

ヒッタイトが全盛期に比して弱くなっていたのか?これはエジプトと戦ってたのでありそうやね

てなるけど、特に教科書では触れられていない。

そんでそもそもこの時代の主流の戦術とかもよく分からない。

 

日本史でもそうだけど、武田氏は織田信長に滅ぼされました。

だけだと「何?じゃあ信玄弱いの?」ってなるけど、信玄は弱くないむしろ超強い。

魔王信長ですらビビってた。そしてメッチャ下手に出て、何なら「家康見殺しにすっか」くらいのもんだった。

信玄が死んでくれたから運よく助かったのだ。

ひよっこの息子は歴戦の家臣をまとめることが出来ず、偉大なオヤジと比較されまくり、小僧扱いされて死んだ。多分こんな感じだ。

そして圧倒的に、経済力では織田信長の方が上だった。

武田の領地は甲斐の山の中である。

対して信長は中央の交通の要衝を大体抑えている。

金をうなるほど持って一杯鉄砲も持ってる。

てなると何となくイメージも湧く。ただ1行で終了だと、暗記に頼るしか無くて、すぐに忘れてしまう。

 

で話を戻して、ヒッタイトなんだけどどうも、上でチラッと書いたけどこの時期エジプトとも戦ってたらしい。

つまり、もともと大国との戦で疲弊していた所に、海の民がやって来たってことだと思う。

 

海の民がどんな戦術でもってヒッタイトに勝ったとか言う記述も無い事から考えると、国同士の○○の戦いみたいなもので勝敗が決まったわけじゃなくて、もともと疲弊してた所に倭寇みたいに何度も周辺地域を荒らしまわられて、弱ってた所に追い打ちを掛けられたって感じなんだろう。

 

でまあヒッタイトは滅びた。

ヒッタイトが滅びた支配の空白地にやって来たのがセム系民族であるアムル人・フェニキア人・ヘブライ人である。

このヘブライ人はユダヤ人の前身となる民族である。

 

そのあとで台頭したのが超強い軍事力で最初の世界帝国を築いたアッシリア帝国だ。

アッシリア帝国の統治方法は力によるメッチャ過酷な支配体制だった。

このアッシリアはアッシュールバニパル王の死後、何か分からないけど衰退する。

これはマジで何かよく分かっていないらしい。

過酷すぎる支配体制の為、被支配民族の不満が高まってきて崩壊、みたいな感じっぽい。糞虫扱いされ続ければそれは不満も高まる。

 

その後4王国時代というメディア・新バビロニア・リディア・エジプトの時代があり、この辺りの時代にバビロン捕囚とかがあった。バビロン捕囚はユダヤ人のユダ王国って国があったけど、新バビロニアに負けて、ギリギリ息してるみたいな感じだった。

そのユダ王国がエジプトと組んで新バビロニアを倒そうとしてそれがバレて、ボコボコにされてエルサレムも破壊され王族がバビロンに連行された事件である。

 

次にオリエントと統一したのがアケメネス朝ペルシアである。

アケメネスというのはアケメネスさんが作ったからアケメネス朝らしい。知らんかった。

 

キュロス2世がメディア滅ぼす。そんでキュロス2世がリディア滅ぼす。そんで新バビロニアも滅ぼす。キュロス2世1代で大体統一した。

そんでその後の王様がエジプトを併合してチャンと統一した。

ダレイオス1世の時代に最盛期を迎えたが、ギリシアとの戦いで疲弊して、ダレイオス3世の時代にアレクサンドロス大王に負けてアケメネス朝は滅びる。

 

アレクサンドロスは流石にメジャーなお人なので、名前は知ってた。ただこの前後の歴史はイマイチ知らなかった。このアレクサンドロス大王の祖国がマケドニアと言う。マケドニアも名前は聞いた事あったけど、そうか大王の国やったんやってなる。

アキレスとヘラクレスを先祖に持ち、アリストテレスが家庭教師という何かそれだけですげーってなる感じの人でもある。

 

僕の中で大王は戦狂いのイメージが強い。

そんで彼の東方遠征のおかげで、ギリシア文化とオリエント文化が融合して、ヘレニズム文化が生まれた。これは哲学について調べてた時に何か出て来た気がする。

 

大王の死後、カリスマの後はクソが生まれるというのはいつの世も常なのか、やっぱ乱れる。

そして出来たのがプトレマイオス朝エジプト・セレウコス朝シリア・アンティゴノス朝マケドニアである。

ちなみにその治世はプトレマイオス朝エジプトがB.C305~B.C30、セレウコス朝シリアがB.C312~B.C63、アンティゴノス朝マケドニアがB.C276~B.C168となっていて、アンティゴノス朝が明らかに短い。まあ聞き覚えも全然ないしさもありなんって感じである。

 

またややこしいな、日本史でも南北朝の辺りとかはややこしくてあんま覚えてないけど、それとは比較にならんくらいややこしい。

そんで横文字の名前覚えづらい。

 

今日は疲れたからこの辺りにしておこう。