日本は本当に終わってるのか?

ネットとかYouTubeのコメントとか見てると日本は終わったとか、どうなってんだ最近の日本はとか昔は違ったとか色々書いているのを見かけますが、個人的に豊かになってると感じます。

 

ホームレスが台風の中で追い出されていつからこんな国になったんだとかいう話になってましたが、いや昔のが差別酷かったでしょって話です。

いつホームレスに寛容な社会があったのか、僕はホームレスの差別ダメ、同じ人間でしょと声が上がる今現在が一番寛容だと思います。

 

どんな貧乏人もTwitterで日本終わっただの派遣辛いだのと呟くことも出来る訳です。

 

阿部死ねとか昔は言えましたか?と信長死ねと言ったら昔はぶち殺されたわけです。

あの人たらしの秀吉ですらそんな事言われたら晒し首にすることでしょう。

今は国会議事堂の真ん前で抗議しても殺さずにおいてくれるのです。

 

昔は助け合いが精神があったとか言う人がいるかも知れないですけども、代わりに現代人が嫌いな共同体での責務も果たさなければいけなかったはずです。

自治会とか町内会の付き合いとか何やかんや付き合いを務めてるからいざと言う時助け合うとなるわけで、昔を懐かしむ人は過去を美化してるだけで普段何もしてないヤツを助けるとかそんな都合のいい話ではなかったやろと思います。

 

共同体で子供を育てる代わりに夜這いなどの文化があったのです。

だから誰の子でも関係なく共同体全体の子として扱われました。

まあ理由として農業が自動化されてなかったので人手が必要だったのでしょう。

 他人に干渉はされたくないでも助けて何て言って誰が話聞くでしょうか。

世の中にそんな都合のいい話無いのです。

持ちつ持たれつです。

 

ぼっち生活の長い僕ですら、何日か居候させてくれと言ったら泊めてくれる人くらいいます。

そして今時、他人との関りなんていくらでも作ろうと思えば作れます。

隣の家の人の顔は知らなくても50km離れた人とも地球の裏側の人ともつながろうと思えばつながれます。

 

そんな中で誰とも関係を築けずに、孤立しているとしたら日頃の行いが余程悪かったと思うしかないのです。

これまでの事は忘れて、今後建設的な関係を構築するように動いていくしかないでしょう。

 

誰も助けてくれないとか政府が悪い安楽死させろとか求めるあばかりで自分から相手に与えようとしなければそら誰も君を助けてはくれんやろと思う訳です。

まあネットの中でしか安楽死したいなんてヤツ見た事ありませんが。

  

弱者に厳しいのは今も昔も変わりません。今はネットとかのメディアが発達したせいで、今まで見えなかった他人の様子が見えることで比較してしまうせいで辛いだけでしょう。相対的に自分のが貧しいから辛いのであって昔の人に比べれば明らかに豊かになってます。

 

少なくとも昔は有色人種は人として扱われなかった時代もあるわけですから、こんなにマイノリティに優しい時代も無いでしょう。

まあまだまだ改善の余地はあるのかも知れませんが、少なくともマシにはなってきています。

 

人に求めるばかりでなく、自分の出来る範囲であるものの精一杯相手に与えるとということを心がけていけば自ずといい方向にいくのではないかと僕は考えています。

 

にほんブログ村 株ブログ 米国株へ
にほんブログ村

にほんブログ村 株ブログ 株 中長期投資へ
にほんブログ村